atscoのリゾートマインド・ラボ

ココロの健康に栄養になるべく、元気の源を発信

2009/07/08

meets Michael Jackson (今日から考えよう)

この十日間ほど、ずっとマイケルジャクソン漬けになっている。
彼をどんなときでも応援しつづけてきた熱烈なファンに対して
おこがましい気持ちも持ちながら。

モータウンの頃の私なんてのはまったく意識不明時代で
ジャクソン5よりフィンガー5の方が身近だったくらいで。

80年代初頭のあの頃、マイケルの顔や音楽をはっきりと認識したのは、
TVのコマーシャルで”Don't Stop Till You Get Enough”が
バックに流れてバイクの側で踊る彼の姿を見たとき。
15秒の映像の中で最後に彼の顔のアップが写り、
白い歯を見せて恥ずかしそうに瞬きのようなウインクをする彼を見て
ドキドキしたことを憶えてる。
それからはまるで世界中が彼の音楽の洪水にあったかのような時代だった。

もちろん彼のサウンド、ダンスセンス、ビート感、
どれもいつも目が回るくらい高揚する自分がいたけれど。
だけど、私は上でも書いたようにずっと応援していたファンではなかった。
曲の中にも好きなのもあれば、そうでないものもあったし、
ものすごく注意深く彼に注目していたわけでなかった。

ボタンを押せば彼のインタビューやメッセージを受け止めることが
出来るこんな時代に、私は彼の心の叫びや本当に伝えたいことに
向き合ってきてなかった気がする。
そして、こうして亡くなったあとになって、パソコンで
彼のインタビュー集を見聞きしながら、自分で探って行くうちに
自分でも驚くほどの喪失感と後悔、会いたくてももう会えないという
今更ながらの悲しみが日を追って広がっていった。。

それから数日を過ごしている間にとある人のブログをみつけた。

私はこのブログを読むことによって、
自分の認識を新たにできたことを とても嬉しく思っている。

今日はその方のブログの一部をここに紹介したいと思います。
(ご本人にはもちろん承諾を得ています。)
どうしてももっとたくさんの人に伝えたいと思い
載させていただくことにしました。

===============================
Michael Jacksonがたった一つ癒せなかった物とは?

皆さんはマイケルジャクソンは好きですか? 多分、賛否両論があるのかもしれない。

それは、誰にでも言える事だけど。

若しも否定なさってる方が居た場合理由は?

正当な理由がある方も、若しかしたら曲解なさっている方も
いるかもしれないと思って書いてみたいと思います。

先ず、彼は余りにも良くない噂も有名だから、それらを全て潰してみよう。

1. 何故白くなったんだろう?

これは(尋常性白斑)と言うメラニン色素を失ってしまう病気を患っていた。
しかもそれは何かの手術をしてそうなったわけではない。
また、全身性エリマトーデスと言う病も併発していたらしく、
薬をかなりの数服用する必要性があったようだ。

彼の父親には白人の血が混じり、目が青くなったりして
同様の症状も出ている。
これは裁判証拠でも出ているし、私の親戚がインタビュー時に
見ているから間違いない。
これは病であって、通常そのような事を言うのは
その方にも類似した病を患われている方に対しても
失礼に当たる許されざる行為です。
だから、彼が白人になろうとしたと言う説は真っ赤なウソ。

2.整形回数が40回から50回とか言われている

これは、完全に単なる噂が膨らんだ話。
正確な情報で出ているのは、鼻を一度コンサートで負傷して
しまった際に始めてから、通説では、医者の証言などを含めて
2?3箇所程度と言われている。
それも一度目の負傷治療時には、呼吸困難になるような形で
出来てしまい、それを治すために後ほど行われている。

複数回があったとすれば鼻だが、それは調整の為と言う
明確な理由に為されているだけ。
面白おかしくあらゆる所に何かをしたなんていう
確証のある文献を手にした事はない。

良くテレビやネットに出てくる例の過激に作られている写真は
全てねつ造でフォトショップ等の加工が施してある。
ゴシップ誌が勝手に作り出していてマイケル側に陳謝している。

3.子供達のうんぬんかんぬんの疑惑

これは金に目が眩んだどうしようもない親が
そのような愚行をしかけて、子供に虚偽発言をさせる為に
あらゆる手を使った。
つまり、彼は完全に所謂被害者だ。
これは一番重要な所だけど、誓っても良い。

4.ビートルズの熱狂的なファンは基本的にマイケルを嫌っている

それは多くの楽曲の版権を購入したり、ジャクソン5時代に
チャートでLet it beを抜き去り1位に君臨した事もあげられる。
私は熱烈なビートルズファンだけど、先ず、抜き去った事は
仕方のないことだし、そんな事で嫌ってどうするの?と言う感じだ。

楽曲の版権については、ポールマッカートニーが彼に明確に助言して
購入している。

その理由はこうだ。 ビートルズの版権を悪徳プロデユーサが
勝手に管理会社に売却してしまった。 ビートルズは激怒して
そいつを解雇し、購入した会社と権利購入権で勝負したが
ビートルズを持ってしても資金が足りず、断念。

その後、ポールがマイケルジャクソンに版権ビジネスと言う
考え方自体も提案している。
ヨーコとポールは相談して取り返そうととしていた。

この時にポールとマイケルは仲違いをしたとも言われている説と、
私が読んだ資料では、「何故マイケルにお願いした?」と言う質問に
「管理会社よりも同じアーティストに持っていて欲しいと言う
思いがあったよ。」とポールは言っていた。

後ほど、ポールはマイケルに版権を購入させてほしいとお願いしたが、
その時マイケルは断っている。

これについては、個人間の投資感覚であって
誰が悪いとかなんて他の人がどうこう言う必要性なんて
無くはないだろうか?
だから、ビートルズの熱狂的ファンが嫌う必要性は
全くないと思われる。

5.莫大な借金がかなりの額があると言われている

総保有資産価値が確実にそれを上回っている人を
借金まみれと報道しているニュースだらけなのは不思議。
破産の危機に直面すればソニーと共同保有している
ビートルズの版権を パーセンテージで割ってスライドさせることができる
(現在は全体の50%程度と言われている)。

一般人なら破産する額だけど、彼の場合は保有資産額が違うのに、
どういう理論でそんなことを言っていたのか、皆目見当がつかない。
一般人だってローンぐらいある。
その額がスーパースターの金額になっているに過ぎない。
ニュースを見ている人には殆どのケース借金額だけ伝えて驚かし、
彼がどれだけの資産家であるかと言う話をしない。

6.ネバーランドに関して

ネバーランドを売却した事で本当に窮地に追い込まれたように
見せられていたけれど、実はネバーランドの売却金額は二十数億円。
楽曲の版権を保有していればで年間に手に入る額は二十億円。
しかも毎年支払われる。
これを天秤にかけても、普通の感覚ならネバーランドを手放すだろう。

ネバーランド売却が一貫の終わり説も嘘。
一度マイケルの立場になって考えてみると。
元々、いろんな子供たちが安心して楽しみに来てほしいと思って
作って居たのに、結局貧困層の色んな子供たちの親から
「マイケルに言えばお金をもらえる。」と言う事で
無数の虚偽による訴訟を受けてしまって、
これは本当に胸を痛めたのではないでしょうか?

アメリカの劣悪な貧困層の家庭は本当に生きていくためには
何でもするけれど、 マイケル自身は幼児期から特別な世界に
居るので、免疫がなく現実を知らずに騙されてしまい
無数の当たり屋のような人々に
「ウチの家の子も、触られた。」と適当な事を言われて
お金を巻き上げられている。

本当に無意味な物まで含めたら千件を超えると言われている。

折角自分の出来る範囲で夢の国を作って子供達にも夢を
見せようとしていたのに、 真逆の結果になってしまったことから、
これは資産的に見ると言うより、
「自分の思いの結晶が世間に悪用されてしまった悲しみ」
と言う事もあり、手放したのかもしれません。

7.私物が競売にかけられていた

その一般公開されたものの全てを販売する気は彼には元々なく、
勝手に全ての物品を競売を、ネバーランドを買収した企業に
かけられてしまった。

全ての物品販売に関しては契約時には無かった内容であり、
マイケルは、自分で販売しても構わない物を選択する権利がある故に
全てを一般公開していた。
その中のいくつかの私物を必死に取り戻したのには理由がある。

それは、彼が子供たちから送られた贈り物を取り返そうとして
行ったと言われている。
実際にファンの動きも見られているし、MIXIで私の所にも
ファンの方から競売品に関して取り戻したいから助けてほしい
というメールが来た。
こう言った事を知らない人が若しかしたら未だいるのかも
しれないけれど明確に否定をしておこう。
これは結構大切な事だ。


彼は気が優しすぎたのかもしれないと思う。
色んなものに飲み込まれて行く内に、利用されたり、
詐欺にあったりしたことも多かったのかもしれない。

彼がヒールザワールドで歌っているような心を持ってるんだから、
さぞや苦しい目にあったことだろう。
なんだか、彼の歌詞を読んでいたり、子供たちからの
プレゼントで受け取った品を取り返そうとしている行動を
思い出したりしたら、本当に涙が出てきた。

彼は幼児期から環境に恵まれなかったり、
ファンに手を付ける父親を持っていたけれど、
何故、世の中は創作活動に集中させてあげなかったのだろう?

世の中は彼の動きを奇行だと言ったが。
彼から見たら世の中の動きが奇行に映ったのでは?

そして、11歳からトップスターとしてあり続けて、
世界を楽しませて癒そうと言っていた彼は、
自分の事を一番楽しませて癒せなかったんじゃないか?と思う。

今日は近年で一番好きな曲を聴いてから出かけよう。
多分世界に怒ってた時のマイケルとジャネットでSCREAMを思い出してみてください!

===================================

追記ですが、マイケルのアフリカへの募金は
『WE ARE THE WORLD』でも有名ですが、
その合計金額はギネスに載るほどだそうです。
(そんなことも知らなかった私)

報道をそのまま鵜呑みにしていたわけではなかったけれど、
だからといって 自分から確かめようとしていたわけでも
なかった自分がいる。

そして、、、応えてなかった昨日までの自分より
今日から考える方が前向きじゃないかな。と考えるようになった。

今日は七夕。
21世紀中に、日食と七夕と満月が重なるのは・・・2009年7月だけ。
今、私達が生きている間には、二度と起こらないことなのだそうです。

奇しくも史上最高のエンターテイナーといわれた彼、
マイケルジャクソンの追悼式イベントも日本時間の夜中の二時から
行われますね。
七夕は日本の物語だけど、忘れられない日になりそうです。
マイケルが命をかけてでも贈りつづけてくれたギフトに今、
心からのありがとうを

そしてありがとう、ROSESさん、ご協力に感謝いたします。

Rest in Peace. Michael Jackson

2009/06/27

ウルグアイの歌姫

先週の日曜日のお昼間 私の中高校時代の親友から一本の電話。
「大変!千田さんがTVに出てる!!」
私「え?なんで?」
「わからない、とにかく来週のこの番組に出るみたい、予告編だったみたい」

唐突にその名前を耳にしたので一瞬頭の中で繋がらなかったのだけど、
ハッと思いきや一気にその頃にタイムスリップ。

千田栄子さん。。。。

あの頃、その私の親友は千田さんの熱心なファンで
(女子校経験者の方ならおわかりになると思いますが)
いつも学校の行き帰りに彼女は嬉しそうに私たちに話してくれたっけ。

「今日は千田さんにネスカフェのCFソングを歌ってもらったのだ。」とか、
「彼女の吹くリコーダーは素晴らしい音色なのだよ。」とか、
「音楽だけじゃなくて勉強もスゴくできて本当にかっこいい!!」など

当然、毎年のバレンタインデーには必ず千田さんに
チョコを贈っていましたね?。(笑)

私が通っていた学校は当時、中学生は一学年400人(各50人の8クラス)、
高校に進むと倍の800人(16クラス)というマンモス校。
毎年クラス替えがありましたが 一緒にならない子は
まったく知らないまま卒業してしまう。
そのぶん毎年、スポーツや文化的なことを通して他クラスと交流を
はかるのですが、私が最も印象的に千田さんを憶えているのは
中学校3年生の時にクラス対抗の英語劇の時でした。
(そのときの出し物は ”ロミオとジュリエット” )

ロミオ役で見せた彼女の耳の良さから来る語学力と
これが同じ中学生?と思うほどの演技力(天性の問題ですね)。
なかでもアドリブで見せたジュリエットにひざまずいて
手にキスをするシーンなどは会場中大歓声が上がったことを憶えています。
(ちなみに私も自分のクラスでロミオ役をやらせていただきましたが、
まぁ、これがお粗末そのもので とほほ)
もちろん、彼女のクラスは見事優勝のシェイクスピア賞に輝きました。
(私のクラスはアイディア賞)


さて、本題はここから。

その千田さんの名前を親友から聞いたあと、
どんな番組に出るのかとネットで調べてみたら、、、
ナント!! 彼女は遠い異国でオペラ歌手になっていると
いうではありませんか!
おまけに 14年ぶりに帰国し、オペラコンサートが開かれるという、、、
どうやら、既に以前、千田さんを特集したときの反響から
このコンサートが決まったらしく、
親友が言っていた来週の日曜日はそのコンサートの模様が
放映される内容でした。

驚いた私は直ぐ親友に電話をかけてそのことを伝えると、
ほとんど悲鳴のような声を上げて(笑)
「とっ、とにかくできるだけの同級生に知らせるわ!」と
急いで電話を切りました。

私もしばらく頭がぼわぁ?としてしまい、

『千田さん、やるなー。何かやる人って感じやったもんなー』 
と完全に関西弁モードでひとり呟いてしまいました。

そうした夜にまた親友から電話が。

「ちょっと、ちょっとぉ 知らせた同級生のひとりから
電話がかかって来てんけど今ちょうど 同窓会してるんやって、
おいで。って。行ってくるわーーー」
私「へ?それはすごい!!行き行きぃ  
ものすごい久しぶりなんとちゃうん?」
「そーよ、25年ぶりやもん きゃぁー」
「そやけど、すっごいタイミングやなぁ あり得へん。」
「もー アッちゃんにめっちゃ感謝するわー 
電話もらわへんかったら会えずにTVだけみとったわ!」
「ほんまやなぁ すごいなぁ、、いってらしゃーい また話聞かせてなぁ」


残念ながらここ東京の日本テレビでは流れないのですが、読売テレビの放送区域 
青森、群馬、中京、西日本、山梨放送の各局で観れるそうです。

とりあえず、
関西の方、28日 午前10時25分10ch 「地球便」
是非ご覧下さい!

2009/06/09

Hello,again.

ここのところ 懐かしい友人関係が復活してきている。
3年、5年、10年、長くは20年と間を空けていた人もいて。。

不思議なことにその大半は偶然に再会することが多い。
自宅近くの銀行で スーパーで 電車のなかで 何気ない自分の日常の
スペースのなかに偶然、たまたま通りかかり ひょんに私に会う、、、(笑)

たとえば、この前、、、娘と用事を済まし、二子玉川駅から
田園都市線 に乗った私たち。
いつもは急行に乗るのだがその日はゆっくりと各駅に乗ろうと乗車。
夕方前の車中はガラガラで、もうしばらくすると地下に潜ってしまう
外 の風景を見ながら娘とおしゃべり。

ふと会話が止まった時に顔を正面に上げたら、斜め向こうの席で
やっぱり同じように母娘がおしゃべりに夢中になっている光景。
あどけない表情の女の子が一生懸命母親に向かって何か話している。
母親は横顔しか見えないが、うんうんと頷き、娘を見る目が
横顔からでも柔らかなのがわかった。

ぼうっと、その光景を見ていた次の瞬間、夢から覚める様に、
私、この人知ってるよ!と頭の中でちーん。と音がした。

「 、、、、みゆきちゃん?」「あ、、、、アッちゃん!!!」

わぁ!そうだそうだ、やっぱりそうだ、とそそくさと隣に座りに行く私。
娘は放ったらかして。

「ひさしぶりだね? 何年ぶりだろうか」
「14、5年は経ってるかも ね?」
「ああ、ミユキちゃんもママになったんだね」
「うんうん,そうなの,この子、娘の○○。こんにちは。して」
「わぁ 初めまして☆ ママとパパが結婚する前からのお友達のアツコ
といいます?」
各駅とはいえ,もう少しで駅に着きそうだったので、急いで連絡先を
交換し、(私の携帯は赤外線通信できない)絶対に近いうちにお昼を食べよう!
と約束して電車から降りた。

ミユキちゃんとは遡ること何年前だろう?
もう、ほとんどなんで仲良くなったか憶えていないのだけど、
(そういうのが一番自然よね)
多分20年くらい前に公私ともにパートナーのご主人と私と三人だったり、
時には他の仲間たちとでよく遊んだ。
仕事もしたよね。たしか。(遊びみたいな仕事だったかもしれない笑)

二人は生活に関わるすべてのものをデザインしたり手作りする人たち。
どんな時代に住んでいようとも自分たちの時間の流れを大切にしていて、
そして、人に優しい。

愚痴や不満を言ってる時間があったらモノ作りしてる。
言葉と行動が常にシンクロしていてウソがない。
そんな印象をいつも二人から受けていた。

私が結婚し、子どもが生まれて忙しい毎日のなか、だんだんと会わなく
なってしまった。
昔にくれた手作りの日本手ぬぐいを眺めては、どうしてるかなぁ?と思
い出していた人たち。

数日後、そのミユキちゃんからメールが来た。
『是非、ゆっくり会ってゴハン食べましょ。夫も来るよ?』

やったぁ!ご主人と私はその昔、ある雑誌で共演したなかでもある。
彼はなかなかの個性の持ち主で時々モデルのお仕事もやっていたのです。

当日私は夫の愛車、電動自転車(笑)に乗って待ち合わせ場所の三宿へ
と向かう。
途中、学校が終わってバスに乗って娘さんもやってきた。

13時から4時間  こんなに長く会ってなかったのにも関わらず
懐かしさは一瞬で消え 話は尽きず 相変わらずの二人のリレーション
と子どもをみつめるまなざしが 素晴らしく柔らかで
あまりにきれいな心のまま 全然歳をとっていない永遠の子供のようで
心から再会を喜び合うことができた。

そんな二人の大切な存在のためにミユキちゃんがお友達と作った一冊の
本をプレゼントしてもらった。



『母弁 おかあさんのおべんとう』(主婦と生活社)


お弁当を作り続けて10数年の私にはとってもありがたい
おかずやアイディアが満載のオンパレード集。

未来を運んで来てくれる子供たちに感謝しつつ
次は子ども抜きで”飲みの約束”をして別れた。笑

2009/05/19

女磨き 世界一の美女に向かって

5/11、東京国際フォーラムで行われたミス・ユニバース最終選考会に
行ってきました。
ここ何年間で日本人が上位入賞に食い込むだけでなく準グランプリ、
グランプリと立て続けに取っている事実はあまりにも有名。



1998年にドナルド・トランプ氏より任命されたイネス・リグロンが
総合プロデューサーに就任、以後10年をかけて世界の連続トップ入り
を果たしている。

トレーニングの内容はファッション、メイク、ヘアスタイル、
ウオーキング、ポージング、スピーチ、インタヴューの練習の他、
ダンスや英会話、精神の統一や気合いについて学ぶため柔術なども
取り 入れている、まさにいわゆる女磨きの結集プログラム。

あらゆるシチュエーションで自分の魅力の出し方の訓練をする。

コンテスト自体は個人的な意見としてショーアップされ過ぎ。
と正直感じてしまったが、トレーニングそのものは
世界の舞台へ向かって行くには必須だと思う。
実際、それぞれ文化の違う背景を持ちながらもビューティコンテストと
して世界から集まってくる精鋭の中で自己アピールが苦手な日本人が
入 賞するのはとても過酷なこと。

私も実は経験がある。
1983年に行われたエリートモデルルックの日本代表として
アカプルコ大会に出場したが、その時の自分のお粗末さといったら
なかった。

初めての飛行機、初めての海外、初めての外国人の中の自分だけ
アジア人。
おまけに英語力は日本の高校生並みで実際には通じないことばかりで、
なんでこんな所に来ちゃったのだろう、早く帰りたい、逃げ出して
しまいたい。とベッドの中で泣いたことがある。

そんな苦い経験を後の自分の糧にしてプロとして活動していたが、
初め からイネスのようなトレーナーが私に就いていてくれたら
もう少しマシだったような気がする。(笑)

さて、ファイナリストと呼ばれる候補者は今回は20人。
その中でじわじわとふるいにかけられるわけだが、見ていると
どのコに もそのチャンスをトレーニングの間じゅう公平に与え、
当日のそのときまで
『私が!』とモティベーションを上げさせて来たのかな。と思わせる
ふしが色々と見られた。

というのは従来のものは個人個人へのフォーカスがじっくりと時間を
かけられ、審査員たちがじっくりと判断するような典型的な
コンテスト形式の色味が強かったと思うが、イネスがディレクトする
今のMUJ(ミス・ユニバース・ジャパン)はそれまでにトレーニング
してきたものを発表する集大成の場となった気がしたからだ。



絞られていく中でもどのファイナリストもダンスの振り付けは完璧、
いつでも自分が踊れる様に訓練したんだな。と伺えた。

もしそうだとしたら今までのMUJにとってこれはある意味新しい
選出の方法かもしれない。
というのは、私が体験したモデルコンテストはまさにこういったもので、
滞在する2週間の間一日中誰かに見られている。見られているだけでなく
審査されている。

食事、パーティ、イベント、撮影、エアロビクスや メキシコ舞踊レッスン、
プールサイドでの過ごし方、ナイトクラッビング、移動のバスの中、
全てにブッカーと呼ばれるマネージャーたちがスタッフとして配置され、
なかなか実は未来のスターを掘り出す審査をしていたというもの。

なので、最終日に選考されると思っていたら大きな勘違いなのだ。
その意識をもって過ごさないと初めからアウトオブ眼中となってしまう。

だからこそ最終日はそれまでの集大成、つまりショー形式となるのだろう。

ただ、違いを述べるとしたら、当日の主な審査員もその2週間は一緒に
過ごすこと。(ちなみにアカプルコ大会ではKENZOやアズディン・アライア
の他にフリオ・イグレシアスやロッド・スチュワートも来ていた!!!)

とにかく、MUJもいよいよ世界的になり、自分の可能性を広げてみたい
と願う若い女性が増えてこれからもどんどん挑戦者が募ることだろう。



だけど、次回はクリス・ペプラーは審査員席でなく、司会者にして欲しい。(笑)

2009/04/29

私の80年代  アラフォー世代って?

アラフォー、アラフィー、と世間では色々と話題になっていますが
かくいう私もいわゆるアラフォー世代のひとりです。

いつのまにか、エフワン、エフツーと、広告業界を中心に、
こんな風に世代を表現されるようになっていました。

F1(M1):20?34歳
F2(M2):35?49歳
F3(M3):50歳?
*FはFemale(女性)MはMen(男性)のこと

正確にいえばバブル景気は、1986年12月から1991年2月までの
4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説だそうですが、
私にとっては、バブル時代と括っても実際はそのもうすこし以前の
時代の方が、自分の根元とも言うべき強く印象的な時代。

もちろん、私はその頃はまったくの青二才。
仕事はすでに始めていたとはいえ、まだまだ社会経験も浅く、
周りには第一線に働く大人がいっぱいで
何がどうなんだかよくわからないまま、ただ、精一杯の五感を
使って呼吸していた感じ。

高校生だった自分が自宅のクローゼットからいきなり世界の扉を
開けたかのような新鮮な驚きとショックの連続のなか
大きく時代が変わろうとしている予感でいっぱいの頃でした。

そしていよいよバブルが始まり、世の中は空前の好景気。
『自分へのご褒美』や『クウネルアソブ』のコピーが世の中を
ひらひらと美しい蝶のように舞い、
人々はより豊かな生活への憧れを強く抱き、休日のゴルフ、
日常のファッション、ドライブで聴きたい音楽、デートでグルメ、
海外へお買い物旅行、めくるめくアフター5と華やかに鮮やかに
そしてしたたかに駆け抜けた時代でした。

私はこの時期、TVを見るのにあまり気が進まなく、ラジオや紙媒体ばかり。
理由は、特に深夜のことですが意味不明に水着姿の若い女性たちが
いつも画面に映っており、なんだかイヤな気分にさせられることが
多かったからでした。

私にとっての80年代は前半。音楽やファッションも独自性を
追求している姿があちらこちらに見られました。
文化人と言われる方々もマスコミにはあまり出たがらず、
とはいえ、活動は精力的にされていた時代だったような気がします。

雑誌でいえば、”marie claire"(マリ・クレール)。
毎月毎月の表紙だけで頭の中で世界中を旅することができました。
まさに空中庭園、脳内散歩(笑)。
フォトグラファーのイマジネーションが世界中を舞台に繰り広げられ、
一枚のフィルムに焼き付け凝縮されていた時代。
(ちなみに私はアーサー・エルゴートが描く世界が好きでした)

今のようなカタログ形式の雑誌の作り方をしていなかったので、
映画のワンシーンのような、写真だけで背景を物語る、
とても想像力をくすぐられるものばかり。
スーパーモデル時代が訪れる以前のもので、眺めているだけで
心から楽しい気分にさせてくれる、夢のような時間でした。
(ああ、これを書くと、去年の10月になくした私の宝物たち
(倉庫のなかの)を思い出してまた悲しくなってきてしまう。)

硬派でスマートを追求し、私達若者の失敗も目を細めて見てくれる
大人たちがいました。
今、自分がその頃の大人のひとたちと同じくらいの年齢になって
時代にフォーカスしたとき、またバブル?と思うかのような、
私達の世代を購買層のターゲットにする動きを感じてなりません。

セレブミセス ゴージャス系 独女アラフォー 
婚活 離活 アンチエイヂング etcetc

「あー!硬派・賢いブーム来ないかなー!」
つい最近お会いした28歳の女性の言葉です。

彼女は最初、私の年齢を聞くと、ああ、アラフォー世代なんですね、
という感じでしたが、
お話をして行くうちにとても盛り上がりました。

それはまさにあの予感で一杯の頃の時代の空気。
ファッションを始め、時代のカルチャーがとても刺激的で、
「あの時代を体験していただなんて!!羨ましいです。
古本屋さんでみつけてはむさぼる様に読みあさってるんです。
何もかもが憧れで今の時代に生きているのが悔しいくらい。
完全に後追いですね?(笑)」
彼女は映像作家。絵も描くそうでその頃のものに触れると
とてもインスパイアされるのだそうです。

そういえば私もそんな20代だったことを思い出しました。
仕事で会う大人の方々に70年代の頃のことを聞いては
心ときめかしていたものでした。
そんな自分だったので、当然、あの好景気時代は
まったく乗り切れていなくて、硬派を気取っていました。
要するに少数派だっただけかもしれませんが、ついつい、
アラフォー世代。と一括りにされるととても息苦しい。

その彼女が言った言葉でもうひとつ印象的だったのは
「今は、一生懸命に生きている人が損をして、
テキトー感を出しているのがかっこいいとか、
やった者勝ち。という考え方の悪びれないひとが
反乱している時代じゃないですか?」

アラフォー(アラフィーなど)という言葉は
メディアがつくった造語であって、
一人一人の生活や実体が見えない空虚な言葉だと感じるのは
私だけではないはずです。

2009/02/21

脱皮と抜け殻  ちょこちょこっとご報告

思えば、予兆は少しづつあったのかもしれなかった。

何か、大きくて捉えようのない物事や
空気が遠くて近くにいる気配のような感覚。。。

貸し倉庫の宝物がごっそりと消えたあと
秋の初めには娘が自転車で転倒してしまった。
利き腕首を骨折した娘は本当に不自由そうで痛みも相当だった。

毎日の身支度と入浴、食事、登下校や習い事の送り迎え、
疲労が思いのほかだったのか、私の首や肩はカチコチに固まり始めて
ついには右手人差し指にかけて痺れが取れなくなっていった。

MRIをとった結果、頸椎間板ヘルニア。 

そうこうしているうちに突然 義父が亡くなってしまった。
夫は新しい自分のアルバム制作の真っ最中で
夜もろくに帰って来れないほど徹夜続き

その日も朝方帰宅し、お風呂に入って食事を済ませたら
またスタジオへ戻る予定だったところに
実家の義母からの報せの電話が入った。


取るものも取らず、とにかく子供たちを学校から呼び返し、
新幹線に乗って実家へ向かった。
夫はどうしても翌日まで東京を離れるわけにいかなかった。


気持ちの整理を付ける暇もなくあらゆる作業をこなし、
ふぅーっと一息つきかけた時、娘が突然
中学受験をしたいと言い出した。
時は12月初頭。


娘の強い希望を聞き入れ、応援しようと心に決めたはいいが、
試験の二月まであと二ヶ月。
圧倒的に時間が足りない。

今の今までそんなつもりでなかったので準備もなかった私達
加えて秋からの様々な出来事に潰されそうになっていた時に
正直なところ、まだ試練が続くのかと
萎えそうな瞬間もあったが、ほんの一筋の予感というか
somethingが心に芽生えているのを感じた。


前へ前へ 

言葉にするとそんな感じか。


とにかく、今在る全精力を娘の受験に掛けてみようと腹を決めた。
その最大の理由は娘の笑顔満面の卒業式が見たかったから。


しかし、現実は甘くなく、何もかも初めてのことだらけで
(私も中学受験したけれど時代が違う)
胃が痛くなって眠れなかったり、夜、誰もいないリビングで
こっそり泣いたりした。


娘は とにかく、頑張った。本当によく頑張ったと思う。


どうしても行きたい学校。どうしても実現したい夢。
12歳の子供が見せてくれた ”成し遂げるまで絶対に諦めない!!”
という強い強い気持ち。


娘が頑張っている姿を見ながら、ある発見もした。
それは、私の腹のどこかで、 実は『娘に入って欲しい学校』
『入れたら他人に大きく評価してもらえそう』な学校を
一瞬でも希望したことだ。


恥ずかしかった。そしてすぐ後悔した。


「本当の学校価値」とはなんだろう? 
失敗しない様に生きるのではなく、それを乗り越えていく力が大切なんだ。
たった、12歳で人生が決まってしまうなんて、そんな馬鹿な!
失敗してもいいんだ、何回でもやり直そう。
だから今精一杯やろう、後悔のないように。

そんな気持ちが育つ家庭や学校を目指したい。
偏差値なんかで計れないよ。


多いときは10時間隣に座ってもみた。
ただ、側にいるというだけで、娘は孤独感から解放されるみたいで 
「嬉しい」と言ってくれた。

気分転換もうまくできたようだったが、やはりストレスか
最後の一ヶ月は食事の量が3倍になり
その分トイレに長く籠るという繰り返しも。。。


試験前日の夜 「よくここまで頑張ったね、偉かったね?」
と娘を褒めた。
娘の笑顔は本物だった。(いいぞ!笑顔の天才!)


清々しい2/1の美しい日の出は忘れることができないだろう。 
家族で思わず手を合わせた。
もう、なにも言うまい。これから始まる数日は
とにかく体調管理と明るい雰囲気作り。
それだけに集中しようと心に決めた。


そして、、、、、、、、、、


さくらさく サクラサク  桜、、、、
咲いた???????っっっっっ!!!


ものすごい脱皮をした後の抜け殻のようです、今の私。
振るとカラカラと音が鳴りそう。。笑

フランス語で『9』はヌフ(neuf)と言い、
(new) という意味もあるそうです。
最近知りました。


さて、2009年、遅ればせながら初ブログということで、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2008/12/30

思い出したクリスマスツリー

記憶の容量って絶対にありますね。
家族や子供がいると、自分個人のメモリーはそれらに相当消費され、
どんどん新しいことが入ってくるので
昔の記憶はぽろぽろぽろと抜け落ちていき、仕舞いには、
へ?そんなことあったっけ?とか言ってる自分が時々怖いです。


「生活の中にいないからさー 忘れちゃうよ。」と
堂々と言って退ける友人がいます。笑


今年のクリスマスは子供の友人たちとそのママたちと、
あとは家族でゆっくりと食事したりして過ごしましたが、
ちょとだけ私個人で顔を出したパーティがあります。

それはもう、知り合って23年くらいになるのでしょうか、
あるカメラマンのお宅のパーティ。
今でも年に一回は電話で話していた中でしたが
その昔はよくお仕事を一緒にさせていただいていました。

12月のある日、いつもの様に年の瀬で連絡をくれたのかな?と
思い電話に出たら、
「子育ても落ち着いたのでは?たまには出ておいでよ。」と
毎年自宅で開くそのパーティに誘ってくれたのでした。

ちょっと気分転換をしたかったのもあって、
「うん!!行く行く!」と返事した私。

久しぶりに向かった先は南青山、、、うーん 確かこの辺だったのになー
どこだったっけ? いかん。思い出せない。
この辺り、とくに裏通りなどは抜け道が沢山あって
どことどう繋がってるかまったく思い出せなくなってる。

いかんなー と思いながら、携帯電話に掛け直す。
「忘れちゃったの?」の言葉に「う、うん、、、ごめんね。(ひきつり笑い)」

そうやってどうにかこうにか到着して玄関でコートを脱ぎ、
お土産のケーキを渡した。
中は人でいっぱいで、とても盛り上がっている。サンタクロースもいた。


『Merry Christmas!』

ヒゲに触らせてもらったら、、、本物でした。

中には懐かしい仕事仲間もいて盛り上がりましたが、
自分の若い頃の話しはちょっと耳が痛いことも。笑
あまりにも情熱を傾けすぎていたのかも?と思えるような話しが
飛び出してきて赤面してしまうシーンもありました。


「やっぱり来て良かった」と心の中で呟きながら
お水をもらいにキッチンに向かったら小さなテーブルの上に
可愛らしい小さなクリスマスツリーがちょこんと飾られています。

「アツコ、これ憶えてる?」とカメラマンの友人に聞かれたので
「え?なぁに?」と聞き返すと、
「おまえー 忘れちゃったの?これ、○○と一緒に贈ってくれた
20年前のツリーだよ」
「飾り付けもそのまんまだかんね」



「、、、、、、、、、、、、、、、ごめん。忘れてた」
「もしかしてちゃんととっておいてくれて、そんでもって
毎年こうして飾ってくれてたの?」

「そーだよー、、、、??」

あああああ んもう、本当にごめんなさい。 
そっかー そっかー いい人だ、ホント。


自分たちが贈ったプレゼントも忘れるなんて。
穴があったら入りたいくらいだった。

だけど、このことのおかげでさっきの恥ずかしい話しも含めて、
自分がどんな子だったのかな?とか、
あれからここまでこんな風に歩いてきたんだな、とか、
置いてきた記憶と再会するというのはいいものだなと思った。

今年もなんだかんだと結局想い出深いクリスマスになったな。


しかし、、記憶の容量のせいにしてはならじ!笑