美しく歩くということ
ロンドンの有名なレストランでは洋服のサイズが0のモデルには無料で食事が供給されるらしい。
昨年のスペインコレクションでもBMI 18未満のモデルは
起用しない。と宣言。
BMIとは身長と体重の比率のこと。例えば、身長174センチの場合体重は54キロなければいけない。
痩せぎすのモデル問題は昨年、ラテンアメリカ人モデルが
ふたり拒食症で死亡したことから話題となった。
自分がサイズ0のモデルと示せば食事が供給されるという。
なんというブラックユーモア。
イギリスらしいといえばらしいかもしれないが。
一時期の偏った、今の流行はコレです。
という市場でなくなっているから競走も激しいのだろうか。
流行の最先端を体現するモデルは忙しい。
時代を容姿で表わすのに
昨日までの自分をある意味、一切に打ち消し、
今の私はこんな人。と見せなくてはいけない。
コロコロとカメレオンの様に容姿を変える。
きちんと精神が整っており、そんな仕事を目一杯楽しむことが出来れば、
女性の仕事としてファッションモデルとは最高に楽しい仕事だと思う。
あまたのプロ達の魔法の手により
美しくフィルムに焼き付けられる。
舞台を歩けばため息が聴こえる。
贅沢な素材をふんだんに使ったドレスの山、スポットライトや歓声、拍手。
キラキラとした陶酔の時間。かもしれない。
その頂点に立つのには私闘を余儀なく求められる。
あの仕事が取れなかったのは 自分のどこに問題があるのだろう?
モデルの仕事はそのほとんどがオーディションという競走の連続。
(有名になってしまえば直接オファーがくる。)
新人の頃は毎日毎日、自分の資料を持ち、クライアントまわり。
時にはぞんざいに扱われることも在る。
こんにちは。と言ってるのに 無視する人がいる。
向こうからしてみれば一日に何百人も見なくてはいけないし、仕事の視線からついそうなってしまうのかもしれない。
そんなこともわかって 挑戦していかなければいけないこと
なのだけれど、弱っているときはこれが 辛い。
自分はなにをやっているのだろう?
と自問自答するはずだ。
ストレスは頂点となり、身体が悲鳴を上げ始める。
身体から心に危険信号が送られるが、
悪循環から精神が麻痺して冷静な判断が下せなくなる。
亡くなったモデル達はなにを思っていたのだろうか。
「食べてはいけない。食べてしまったら太ってしまう、
そうしたら私は醜くなって 誰からも振り向いてもらえない。
食べてはいけない。。。」
神経が研ぎ澄まされ過ぎていたのかもしれない。
私が現役の頃にも病に倒れたモデルがいた。
布団の中で眠っているけれど、まるでそこに身体がないのかと思うくらい
痩せてペッチャンコになっていた。
彼女は自分で起き上がることも出来なかった。
最後はご両親が田舎から上京して彼女を連れて帰った。
今、あの彼女はどうしているだろう?
人間としての尊厳を考えたら 目も当てられないが モデルに限らず
”美”への追求を止めるものは少ない。
疲れたら休み、きちんと食事をしてぐっすり眠る。時には歌ったり、踊ったり。。。
そんな当たり前なことに気づけないくらい神経がたっていたのかもしれない。
大切にしたい家族や恋人もいただろう。
美しく歩くということは 本当はそのまま生き方に反映されなければいけないと思う。
真っ直ぐ立ち、胸をひらいて、前を見据える。
たとえオーディションに落ちたとしても人間として否定されたのではないことを
わかっていなければいけない。
こういうことで若くて美しい命が消えたことはとても悲しい。
昨年のスペインコレクションでもBMI 18未満のモデルは
起用しない。と宣言。
BMIとは身長と体重の比率のこと。例えば、身長174センチの場合体重は54キロなければいけない。
痩せぎすのモデル問題は昨年、ラテンアメリカ人モデルが
ふたり拒食症で死亡したことから話題となった。
自分がサイズ0のモデルと示せば食事が供給されるという。
なんというブラックユーモア。
イギリスらしいといえばらしいかもしれないが。
一時期の偏った、今の流行はコレです。
という市場でなくなっているから競走も激しいのだろうか。
流行の最先端を体現するモデルは忙しい。
時代を容姿で表わすのに
昨日までの自分をある意味、一切に打ち消し、
今の私はこんな人。と見せなくてはいけない。
コロコロとカメレオンの様に容姿を変える。
きちんと精神が整っており、そんな仕事を目一杯楽しむことが出来れば、
女性の仕事としてファッションモデルとは最高に楽しい仕事だと思う。
あまたのプロ達の魔法の手により
美しくフィルムに焼き付けられる。
舞台を歩けばため息が聴こえる。
贅沢な素材をふんだんに使ったドレスの山、スポットライトや歓声、拍手。
キラキラとした陶酔の時間。かもしれない。
その頂点に立つのには私闘を余儀なく求められる。
あの仕事が取れなかったのは 自分のどこに問題があるのだろう?
モデルの仕事はそのほとんどがオーディションという競走の連続。
(有名になってしまえば直接オファーがくる。)
新人の頃は毎日毎日、自分の資料を持ち、クライアントまわり。
時にはぞんざいに扱われることも在る。
こんにちは。と言ってるのに 無視する人がいる。
向こうからしてみれば一日に何百人も見なくてはいけないし、仕事の視線からついそうなってしまうのかもしれない。
そんなこともわかって 挑戦していかなければいけないこと
なのだけれど、弱っているときはこれが 辛い。
自分はなにをやっているのだろう?
と自問自答するはずだ。
ストレスは頂点となり、身体が悲鳴を上げ始める。
身体から心に危険信号が送られるが、
悪循環から精神が麻痺して冷静な判断が下せなくなる。
亡くなったモデル達はなにを思っていたのだろうか。
「食べてはいけない。食べてしまったら太ってしまう、
そうしたら私は醜くなって 誰からも振り向いてもらえない。
食べてはいけない。。。」
神経が研ぎ澄まされ過ぎていたのかもしれない。
私が現役の頃にも病に倒れたモデルがいた。
布団の中で眠っているけれど、まるでそこに身体がないのかと思うくらい
痩せてペッチャンコになっていた。
彼女は自分で起き上がることも出来なかった。
最後はご両親が田舎から上京して彼女を連れて帰った。
今、あの彼女はどうしているだろう?
人間としての尊厳を考えたら 目も当てられないが モデルに限らず
”美”への追求を止めるものは少ない。
疲れたら休み、きちんと食事をしてぐっすり眠る。時には歌ったり、踊ったり。。。
そんな当たり前なことに気づけないくらい神経がたっていたのかもしれない。
大切にしたい家族や恋人もいただろう。
美しく歩くということは 本当はそのまま生き方に反映されなければいけないと思う。
真っ直ぐ立ち、胸をひらいて、前を見据える。
たとえオーディションに落ちたとしても人間として否定されたのではないことを
わかっていなければいけない。
こういうことで若くて美しい命が消えたことはとても悲しい。



