atscoのリゾートマインド・ラボ

ココロの健康に栄養になるべく、元気の源を発信

2006/12/22

アカプルコの思い出

モデルコンテストに参加した時のことを思い出してみた。第一回メキシコ アカプルコでの開催。
高校2年の時、ファッション雑誌にのっていたモデルコンテストに気軽に応募し、いよいよ本選に出場することとなった。私はたったひとりで神戸から東京、そして、初めての海外に旅立った。

新神戸駅のホーム、『行ってきます!!』母と友達に見送ってもらい、新幹線でまずは東京へ
東京で、同行のスタッフと合流。(連載契約となる雑誌の編集長、所属することとなったモデルクラブの社長とマネージャー、カメラマン、ヘアメイクの方々)
『こ、こんにちは、よろしくおねがいします。』ペコリと頭を下げ、今にも泣き出しそうになるのをグッとこらえて挨拶する。
『よく、来たわね〜  さあ、行くわよ!』編集長の一声で一同いざ、メキシコへ
初めての飛行機、初めての外国、見知らぬ大人達との会話、全員が私を一人の少女としてか素材としてか 好奇の目でみつめる。。。
飛行機の中でどんな話をしたのだろうか・・・確か隣にヘアメイクの方が座ってくれたかと思う。頭の中が真っ白の私はただただ、はい。はい。と頷きながら、これから起こる出来事にうっすらとワクワクする想いも芽生えていたのは間違いなかった。
ホテルに着いた。なんと、部屋割りがあるという。出場者を二人づつ 相部屋にして10日間過ごすのだ!
私は、ニュージーランドから来ている セーラという同じ16才のコと一緒。お茶目なセーラは本当に明るくて優しい女の子だった。
だけど会話はモチロン、英語。 私は一気に顔面蒼白。何を言われても ???? こちらが何か聞いても ????全く通じないのであーる。 これじゃあコミュニケーションが取れない。
アジア系は一人もいない。東洋からの参加者も私だけだ。
そうこうしているうちに、コンテスト出場者が一同に集められる。全体ミーティングだ。バービー人形のように抜群のプロポーション、頭がグーぐらいしかないコの集団、金髪、ブルネット、ロングヘアー、ベリーショート、青や緑や灰色の目をした美しい16〜20くらいまでの娘ばかりが全部で何人いただろう。100?150?その周りにスタッフが倍くらいいた様な気がする。
もう、既にコンテストは始まっていることに気づく。スタッフらの一見優しそうな眼差しの奥に光るものが静かにそれを物語っていた。
普段のふるまい、身のこなし、存在感、性格、アピール度、着こなしのセンス。
それはそうだ、なんてたって、明日のスターの発掘の場なのだから。
モチロン、オールイングリッシュ。
私、再び→大顔面蒼白状態。
さすがに、一日目の夜はベッドの中で泣いた。『どおして、こんな所来ちゃったんだろう〜 こんなことになるなんて、聞いてない、帰りたいよ〜』
帰りたくても帰れない。ここは、メキシコ。アカプルコだ。
同行したスタッフは別のホテルに滞在。コンテストの合間を縫って取材と撮影を企画していた。(後で聞いた話だが、私が必死になっていたというのに、思いっきりリゾート気分を満喫していたらしい)
色物と白いものが分けられず入れられてスイッチひとつで廻り出す自動洗濯機の夢のようだった。
何に圧倒されたかと言うと、同じ年頃の女の子なのに、中味が全然違う。
すぐ、I am no,1 We are no,1 と口にすることだ。(特にアメリカ人に多かったように思う、ヨーロッパから来ているコはもうちょっと奥に秘めた感じがあった)共通しているのは、真っ直ぐに人を見つめる目、へつらうような笑い顔はしない。
人の話を聞く時も 思い思いの格好で聞いている。腕を組んだり、しらけた表情だったり。うんうんと頷き、いわゆる、日本の教育で言う、『人の話を聞く態度』を出している人は だあれもいなかった。そのくせ団体でなにかやるときはキチンとできたりするのだった。
ひとつひとつが私にとって刺激のシャワー。 高校の教室が遠く感じた。
ファイナルのステージに向かってプログラムが組まれている。
エアロビクス、メキシコ舞踊、当日着る水着やドレスの衣装合わせ、メイク合わせ、毎夜のドレスアップ、レストランでの食事会、太陽の降り注ぐ下でランチ、社交、海辺で、ジープに乗り込み砂浜を駆け抜ける撮影(効果として用意されたホースから飛び出す虹のような水を浴び濡れた少女達にちょっとドキドキした←すでにオヤジ?)、ナイトクラブでのダンス三昧、合間にウオークマンで聴くレッド・ツェッペリン!!
審査員には アズディン・アライア、KENZO, なぜか フリオ・イグレシアスにロッド・スチュワート、当時ニューヨークで大爆発売れっ子中の売れっ子モデル達。一緒におしゃべりをし、食事し、踊る。
ショックショックショックショックショック!!!!!
泣いてなんかいられない!!私は気持ちを切り替えるスイッチをここで作ったと思う。
下手な英語力をものともせず、話しかけ、私はたくさんの仲間をつくることができた。
自分が変われば、相手も変わる。
『教えて。』と日本のことを聞いてきてくれる。バスに乗れば、隣においで。と呼んでくれる。意地悪そうに見えたコも『ハーイ!atsco!』なんて・・・
どんどん楽しくなってしまい あの、初めての夜、帰りたい。と泣いた自分はもうどこにもいなかった。
世界は狭い、世界は丸い、世界は同じ、ただひーとーつ♪
IT'S A SMALL WORLDの歌が頭の中でずっと鳴り響いていた。
結果、コンテスト入賞は果たせなかったものの、私は自分の人生にこんなに大きく影響を及ぼす体験ができたことで大満足だった。
ここに、参加できて本当に良かった。嬉しいウレシイうれしい!!
本番のステージ上で入賞を果たした仲間に まるで自分のことのように喜び抱きしめ、祝福のキスを贈るフレンドシップにも感動した。
『なんて、さわやかなんだろう!』
美しくて、聡明で、明るくて、快活、分け合う気持ちを忘れない人達を目の当たりにしてすがすがしさで、胸がいっぱいになって こらえきれず、泣いてしまった。

二週間後、同じ教室、同じ机、久しぶりに会うクラスメート
まるで全身の血が入れ替わったみたいな気分。の自分がそこにいた。
確か、『思い出のアカプルコ』 とかって歌なかったっけ?

あのとき入賞し、歴史に残る伝説のモデルとなった 
シンディ・クロフォード、ステファニー・シーモア 

24年の時を経て、つくづく思うのは、私があそこに行った『意味』・・・それは、私が見てきたこと、感じたことをこうして伝えるためだったのだと、心からそう思います。
atsco

2006/12/15

カラダのこと

子供の頃から痩せっぽちだった私。。。176cm 50kgが、妊娠を機に一気に未踏の地へ
あれよあれよと増えて臨月の頃はついに体重20kg増し!!
それまであまり甘いものは食べなくても平気だったのが、毎日通る街のケーキ屋さんの前で、今日は何にしよう?と考えるだけで、ヨダレがでるようになってしまった・・・
なんとも言えない開放感に溢れ、本当にゆったりと過ごしたなあ
それまでは、仕事に集中し過ぎて 知らず知らずに心身共々、疲れが溜まってしまっていたみたいだ。
モデルの仕事は 簡単に言えば『人に観られる』仕事だ。『服を着て魅せる』仕事。カメラの前で、ステージの上で。
そしてそれをフィルムに、観るものの目に、焼き付ける仕事。
自分の肉体を通し、ある種、霊感の様なひらめきと(インスピレーションともいいますね)それを体現する技術、表現のimprovisation(即興),
着る服によって 個性を設定したりするのはとても面白い作業だった。
ただ、言葉を持たないので、それ以外を そして、それ以上に美しく魅せるすセンスも必要とされる。
スタイルが良くて当たり前。の向こうに高く要求されるもの
若くして仕事を始め、何がなにやら解らず、自分の持つ触覚だけでやってきた私にはしばらく休息が必要だった。
だからって、20kgも太っては・・・ 今はだいぶん落ちましたが、50kgには戻ってません!ちょっと、ムリ。この年で痩せるとシワっぽくなるらしいし。(言い訳。)
しかし、カラダという道具は大事にしなくてはいけないな。と思うので皆さんもサボらないように!
ダイエット体験記も今後書きたいと思います。

2006/12/14

おもえば遠くへきたモンだ。です。

16才のある日、学校帰りにいつも立ち読みする本屋さんで、その日初めて手にする雑誌があった。
それまでは、ちょっとまだ早いかも?と思っていたファッション雑誌。一番最初に開かれたそのページにその記事が載せられていた。
NYの model agency ELITEが主催する世界大会第一回 Look Of The Year '83 日本代表募集 
外国に興味があった私は これならタダで行くことができるかも知れないということと、憧れの山口小夜子さんが審査員の一人にいることに感激した。
幼い頃から化粧品の広告に憧れていた私は この世のものとは思えない彼女の美しさに息を呑みながらブラウン管の前に釘付けになっていた。
小夜子さんに会える!
家に帰り、写真をもの凄い勢いで探す。最新のもの、最近のもの。。。。
ちょうど、その夏に自分で洋服のコーディネートをし、イヤがる弟に無理矢理撮ってもらった写真が出てきた。
全身とアップもちょうどある!!
親に相談などと考えもしなかったまま、必要な書類を揃えてポストイン、後は結果を待つのみだ。結果が出たら、報告としよう。
代表はまあ おいといて、小夜子さんには会いたいなあ。。。
書類を送った時点で満足感を得た私は、思いのほかドキドキが毎日続かず、なかば忘れている状態でもあった。
一ヶ月程経った頃に、母から 『あんね〜 アンタなんか、したあ?』と言われてハッとした。『なんか、東京の出版社から電話があって、atscoさん東京来れますか?って・・・』
『お母さん、ごめんなさい、黙っといて。  実は・・・』

あれからもう、24年。。。。。。
40才の私が今あの頃の自分に手紙を書くとしたら、なんと書こうか。

それにしても、なんとも不思議なのは あの時初めて手にし、パッと開いたページが今日の日に繋がっているということだろう。

2006/12/04

初めまして。

今日、12月3日でついに私は40才となりました。思えばこの10数年間、結婚、出産と慌ただしい時を過ごし、テクノロジーとは無縁の生活を送っていた私でしたが、今回ご縁あって、ケンコーコムさんのサイトでブログを始めさせてもらう運びとなりました。
アナログな人間関係しか無かった私ですが、『そちら、席空いてます?』という感じで見知らぬ誰かと繋がって行くことに今、興味が湧いています。
果たして、世の中の価値観が一変してしまったのか?
変わってしまったとしたら、どんな風に?
自分の心で感じ、頭で考え、身体を動かして 大いに体感していきたいと思います。
性格上(根っこが関西人なので、お笑い傾向が強い)の問題で、文面がその時々で変わるかとも思われますが、どうぞ気楽に流してやってください。
これから送る人生の後半戦?中盤戦?を明るく元気で朗らかに送って行きたいと思います。
どうぞ、一緒にまいりましょう!
(どこに? と突っ込んでー)