アカプルコの思い出
モデルコンテストに参加した時のことを思い出してみた。第一回メキシコ アカプルコでの開催。
高校2年の時、ファッション雑誌にのっていたモデルコンテストに気軽に応募し、いよいよ本選に出場することとなった。私はたったひとりで神戸から東京、そして、初めての海外に旅立った。
新神戸駅のホーム、『行ってきます!!』母と友達に見送ってもらい、新幹線でまずは東京へ
東京で、同行のスタッフと合流。(連載契約となる雑誌の編集長、所属することとなったモデルクラブの社長とマネージャー、カメラマン、ヘアメイクの方々)
『こ、こんにちは、よろしくおねがいします。』ペコリと頭を下げ、今にも泣き出しそうになるのをグッとこらえて挨拶する。
『よく、来たわね〜 さあ、行くわよ!』編集長の一声で一同いざ、メキシコへ
初めての飛行機、初めての外国、見知らぬ大人達との会話、全員が私を一人の少女としてか素材としてか 好奇の目でみつめる。。。
飛行機の中でどんな話をしたのだろうか・・・確か隣にヘアメイクの方が座ってくれたかと思う。頭の中が真っ白の私はただただ、はい。はい。と頷きながら、これから起こる出来事にうっすらとワクワクする想いも芽生えていたのは間違いなかった。
ホテルに着いた。なんと、部屋割りがあるという。出場者を二人づつ 相部屋にして10日間過ごすのだ!
私は、ニュージーランドから来ている セーラという同じ16才のコと一緒。お茶目なセーラは本当に明るくて優しい女の子だった。
だけど会話はモチロン、英語。 私は一気に顔面蒼白。何を言われても ???? こちらが何か聞いても ????全く通じないのであーる。 これじゃあコミュニケーションが取れない。
アジア系は一人もいない。東洋からの参加者も私だけだ。
そうこうしているうちに、コンテスト出場者が一同に集められる。全体ミーティングだ。バービー人形のように抜群のプロポーション、頭がグーぐらいしかないコの集団、金髪、ブルネット、ロングヘアー、ベリーショート、青や緑や灰色の目をした美しい16〜20くらいまでの娘ばかりが全部で何人いただろう。100?150?その周りにスタッフが倍くらいいた様な気がする。
もう、既にコンテストは始まっていることに気づく。スタッフらの一見優しそうな眼差しの奥に光るものが静かにそれを物語っていた。
普段のふるまい、身のこなし、存在感、性格、アピール度、着こなしのセンス。
それはそうだ、なんてたって、明日のスターの発掘の場なのだから。
モチロン、オールイングリッシュ。
私、再び→大顔面蒼白状態。
さすがに、一日目の夜はベッドの中で泣いた。『どおして、こんな所来ちゃったんだろう〜 こんなことになるなんて、聞いてない、帰りたいよ〜』
帰りたくても帰れない。ここは、メキシコ。アカプルコだ。
同行したスタッフは別のホテルに滞在。コンテストの合間を縫って取材と撮影を企画していた。(後で聞いた話だが、私が必死になっていたというのに、思いっきりリゾート気分を満喫していたらしい)
色物と白いものが分けられず入れられてスイッチひとつで廻り出す自動洗濯機の夢のようだった。
何に圧倒されたかと言うと、同じ年頃の女の子なのに、中味が全然違う。
すぐ、I am no,1 We are no,1 と口にすることだ。(特にアメリカ人に多かったように思う、ヨーロッパから来ているコはもうちょっと奥に秘めた感じがあった)共通しているのは、真っ直ぐに人を見つめる目、へつらうような笑い顔はしない。
人の話を聞く時も 思い思いの格好で聞いている。腕を組んだり、しらけた表情だったり。うんうんと頷き、いわゆる、日本の教育で言う、『人の話を聞く態度』を出している人は だあれもいなかった。そのくせ団体でなにかやるときはキチンとできたりするのだった。
ひとつひとつが私にとって刺激のシャワー。 高校の教室が遠く感じた。
ファイナルのステージに向かってプログラムが組まれている。
エアロビクス、メキシコ舞踊、当日着る水着やドレスの衣装合わせ、メイク合わせ、毎夜のドレスアップ、レストランでの食事会、太陽の降り注ぐ下でランチ、社交、海辺で、ジープに乗り込み砂浜を駆け抜ける撮影(効果として用意されたホースから飛び出す虹のような水を浴び濡れた少女達にちょっとドキドキした←すでにオヤジ?)、ナイトクラブでのダンス三昧、合間にウオークマンで聴くレッド・ツェッペリン!!
審査員には アズディン・アライア、KENZO, なぜか フリオ・イグレシアスにロッド・スチュワート、当時ニューヨークで大爆発売れっ子中の売れっ子モデル達。一緒におしゃべりをし、食事し、踊る。
ショックショックショックショックショック!!!!!
泣いてなんかいられない!!私は気持ちを切り替えるスイッチをここで作ったと思う。
下手な英語力をものともせず、話しかけ、私はたくさんの仲間をつくることができた。
自分が変われば、相手も変わる。
『教えて。』と日本のことを聞いてきてくれる。バスに乗れば、隣においで。と呼んでくれる。意地悪そうに見えたコも『ハーイ!atsco!』なんて・・・
どんどん楽しくなってしまい あの、初めての夜、帰りたい。と泣いた自分はもうどこにもいなかった。
世界は狭い、世界は丸い、世界は同じ、ただひーとーつ♪
IT'S A SMALL WORLDの歌が頭の中でずっと鳴り響いていた。
結果、コンテスト入賞は果たせなかったものの、私は自分の人生にこんなに大きく影響を及ぼす体験ができたことで大満足だった。
ここに、参加できて本当に良かった。嬉しいウレシイうれしい!!
本番のステージ上で入賞を果たした仲間に まるで自分のことのように喜び抱きしめ、祝福のキスを贈るフレンドシップにも感動した。
『なんて、さわやかなんだろう!』
美しくて、聡明で、明るくて、快活、分け合う気持ちを忘れない人達を目の当たりにしてすがすがしさで、胸がいっぱいになって こらえきれず、泣いてしまった。
二週間後、同じ教室、同じ机、久しぶりに会うクラスメート
まるで全身の血が入れ替わったみたいな気分。の自分がそこにいた。
確か、『思い出のアカプルコ』 とかって歌なかったっけ?
あのとき入賞し、歴史に残る伝説のモデルとなった
シンディ・クロフォード、ステファニー・シーモア
24年の時を経て、つくづく思うのは、私があそこに行った『意味』・・・それは、私が見てきたこと、感じたことをこうして伝えるためだったのだと、心からそう思います。
atsco
高校2年の時、ファッション雑誌にのっていたモデルコンテストに気軽に応募し、いよいよ本選に出場することとなった。私はたったひとりで神戸から東京、そして、初めての海外に旅立った。
新神戸駅のホーム、『行ってきます!!』母と友達に見送ってもらい、新幹線でまずは東京へ
東京で、同行のスタッフと合流。(連載契約となる雑誌の編集長、所属することとなったモデルクラブの社長とマネージャー、カメラマン、ヘアメイクの方々)
『こ、こんにちは、よろしくおねがいします。』ペコリと頭を下げ、今にも泣き出しそうになるのをグッとこらえて挨拶する。
『よく、来たわね〜 さあ、行くわよ!』編集長の一声で一同いざ、メキシコへ
初めての飛行機、初めての外国、見知らぬ大人達との会話、全員が私を一人の少女としてか素材としてか 好奇の目でみつめる。。。
飛行機の中でどんな話をしたのだろうか・・・確か隣にヘアメイクの方が座ってくれたかと思う。頭の中が真っ白の私はただただ、はい。はい。と頷きながら、これから起こる出来事にうっすらとワクワクする想いも芽生えていたのは間違いなかった。
ホテルに着いた。なんと、部屋割りがあるという。出場者を二人づつ 相部屋にして10日間過ごすのだ!
私は、ニュージーランドから来ている セーラという同じ16才のコと一緒。お茶目なセーラは本当に明るくて優しい女の子だった。
だけど会話はモチロン、英語。 私は一気に顔面蒼白。何を言われても ???? こちらが何か聞いても ????全く通じないのであーる。 これじゃあコミュニケーションが取れない。
アジア系は一人もいない。東洋からの参加者も私だけだ。
そうこうしているうちに、コンテスト出場者が一同に集められる。全体ミーティングだ。バービー人形のように抜群のプロポーション、頭がグーぐらいしかないコの集団、金髪、ブルネット、ロングヘアー、ベリーショート、青や緑や灰色の目をした美しい16〜20くらいまでの娘ばかりが全部で何人いただろう。100?150?その周りにスタッフが倍くらいいた様な気がする。
もう、既にコンテストは始まっていることに気づく。スタッフらの一見優しそうな眼差しの奥に光るものが静かにそれを物語っていた。
普段のふるまい、身のこなし、存在感、性格、アピール度、着こなしのセンス。
それはそうだ、なんてたって、明日のスターの発掘の場なのだから。
モチロン、オールイングリッシュ。
私、再び→大顔面蒼白状態。
さすがに、一日目の夜はベッドの中で泣いた。『どおして、こんな所来ちゃったんだろう〜 こんなことになるなんて、聞いてない、帰りたいよ〜』
帰りたくても帰れない。ここは、メキシコ。アカプルコだ。
同行したスタッフは別のホテルに滞在。コンテストの合間を縫って取材と撮影を企画していた。(後で聞いた話だが、私が必死になっていたというのに、思いっきりリゾート気分を満喫していたらしい)
色物と白いものが分けられず入れられてスイッチひとつで廻り出す自動洗濯機の夢のようだった。
何に圧倒されたかと言うと、同じ年頃の女の子なのに、中味が全然違う。
すぐ、I am no,1 We are no,1 と口にすることだ。(特にアメリカ人に多かったように思う、ヨーロッパから来ているコはもうちょっと奥に秘めた感じがあった)共通しているのは、真っ直ぐに人を見つめる目、へつらうような笑い顔はしない。
人の話を聞く時も 思い思いの格好で聞いている。腕を組んだり、しらけた表情だったり。うんうんと頷き、いわゆる、日本の教育で言う、『人の話を聞く態度』を出している人は だあれもいなかった。そのくせ団体でなにかやるときはキチンとできたりするのだった。
ひとつひとつが私にとって刺激のシャワー。 高校の教室が遠く感じた。
ファイナルのステージに向かってプログラムが組まれている。
エアロビクス、メキシコ舞踊、当日着る水着やドレスの衣装合わせ、メイク合わせ、毎夜のドレスアップ、レストランでの食事会、太陽の降り注ぐ下でランチ、社交、海辺で、ジープに乗り込み砂浜を駆け抜ける撮影(効果として用意されたホースから飛び出す虹のような水を浴び濡れた少女達にちょっとドキドキした←すでにオヤジ?)、ナイトクラブでのダンス三昧、合間にウオークマンで聴くレッド・ツェッペリン!!
審査員には アズディン・アライア、KENZO, なぜか フリオ・イグレシアスにロッド・スチュワート、当時ニューヨークで大爆発売れっ子中の売れっ子モデル達。一緒におしゃべりをし、食事し、踊る。
ショックショックショックショックショック!!!!!
泣いてなんかいられない!!私は気持ちを切り替えるスイッチをここで作ったと思う。
下手な英語力をものともせず、話しかけ、私はたくさんの仲間をつくることができた。
自分が変われば、相手も変わる。
『教えて。』と日本のことを聞いてきてくれる。バスに乗れば、隣においで。と呼んでくれる。意地悪そうに見えたコも『ハーイ!atsco!』なんて・・・
どんどん楽しくなってしまい あの、初めての夜、帰りたい。と泣いた自分はもうどこにもいなかった。
世界は狭い、世界は丸い、世界は同じ、ただひーとーつ♪
IT'S A SMALL WORLDの歌が頭の中でずっと鳴り響いていた。
結果、コンテスト入賞は果たせなかったものの、私は自分の人生にこんなに大きく影響を及ぼす体験ができたことで大満足だった。
ここに、参加できて本当に良かった。嬉しいウレシイうれしい!!
本番のステージ上で入賞を果たした仲間に まるで自分のことのように喜び抱きしめ、祝福のキスを贈るフレンドシップにも感動した。
『なんて、さわやかなんだろう!』
美しくて、聡明で、明るくて、快活、分け合う気持ちを忘れない人達を目の当たりにしてすがすがしさで、胸がいっぱいになって こらえきれず、泣いてしまった。
二週間後、同じ教室、同じ机、久しぶりに会うクラスメート
まるで全身の血が入れ替わったみたいな気分。の自分がそこにいた。
確か、『思い出のアカプルコ』 とかって歌なかったっけ?
あのとき入賞し、歴史に残る伝説のモデルとなった
シンディ・クロフォード、ステファニー・シーモア
24年の時を経て、つくづく思うのは、私があそこに行った『意味』・・・それは、私が見てきたこと、感じたことをこうして伝えるためだったのだと、心からそう思います。
atsco



